楽しいことを思いつく時を待ちながら、自由なテーマでこのブログを続けていたのですが、大震災直後、諦めたくない素人たち数万人が日々アクセスする原発関連情報の発信・交換の場となり、すぐに行うべき緊急のものから遠い将来を見据えたものまで多くの企画提案?を全力稼動でしてきました(ご興味のある方は、#211(3月13日)の「ごあいさつ」から、コメント欄も含めご覧ください)。しかし、6月10日あたりで、更新を停止しました。とりあえず東日本壊滅を防ぐ大きな力にはなったと思います(関わっていた人たち以外は、信じないでしょうけど・・・)。
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#198 湯川秀樹派
JUGEMテーマ:人生論
 

私が子どもの頃は、湯川秀樹の伝記本が小学校の図書室などで非常にメジャーな存在でした。日本人ノーベル賞受賞者が貴重な存在だったからだと思いますが、確か内容は、親にとても優しくしたとか、そんな道徳教科書的なことがメインであったようないい加減な記憶があります(全く誤った記憶だと思います)。

実際に、子ども用の本でどのような伝記になっていたのか興味のあるところではありますが、まだ、本屋さんなどでチェックしていません。


彼はアインシュタインなんかとやっていた核兵器廃絶運動でも有名ですが、こんなことが気になっていた人です。

「物理学に限らず、およそ学問というものは、抽象化、一般化が進めば進むほど、自然からもっと汲みとれるはずのもの、汲みとられなければならないものが、捨てて省みられなくなる。」

「自然」は「現実」と言い換えてもいいと思います。

「自然」を「シンプル」と勘違いしているエコなんとかとか、「現実」を単純化した単なる思い込みに満足するような禅モドキとかも、ここで言われている「抽象化、一般化」の仲間だと思います。


で、この話は#197とつながっているのですが、

人の「感覚」や「認知」や「知識」に比して、とてつもなく「過剰」な「自然」や「現実」の中で生きていること、それでも何とか自分で考えないといけないこと、考えることはやがて時間切れになって完全な確信が無いままに勝負かける場面が多々あること、痛い目に合う事が半分以上あること、わけがわからないけどうまく行くこともたまにあること、失敗と分かるまでは失敗ではないので楽しめること、他の人間も自分もわけのわからない「自然」や「現実」の一部であること、でも助け合ったりすると気持ちいいこと、などが身に染みるのが、あの保育園で過ごすメリットのひとつだと思います。子どもたちが関わる「自然」や「現実」の中には、精神的あるいは身体的な(いわゆる)障害も含まれています。



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