楽しいことを思いつく時を待ちながら、自由なテーマでこのブログを続けていたのですが、大震災直後、諦めたくない素人たち数万人が日々アクセスする原発関連情報の発信・交換の場となり、すぐに行うべき緊急のものから遠い将来を見据えたものまで多くの企画提案?を全力稼動でしてきました(ご興味のある方は、#211(3月13日)の「ごあいさつ」から、コメント欄も含めご覧ください)。しかし、6月10日あたりで、更新を停止しました。とりあえず東日本壊滅を防ぐ大きな力にはなったと思います(関わっていた人たち以外は、信じないでしょうけど・・・)。
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#191 利他心と自由
JUGEMテーマ:教育
 

#190の結果を受けても懲りずに、まだいろんな学校を調べています。調べることは割と好きですし。

で、感じたことは、学問の自由に関わらず、生き方の自由というか、人の自由について敏感なのは、宗教を前面に出している学校なんですね。

「利他心」にこだわることを表明しているがために、その流れで「一人ひとりの自由」を大切にする話になっています。

「他人の自由」を主眼に置くところから、「社会の自由」になって、そこには「自分の自由」も包まれているわけです。

「利他心」→「自由」というロジックの流れは、面白いと思いませんか。

「利他心が、私の自由につながる」なんて、今まで誰かはっきり言っていましたっけ?この発想、すごく気持ちよく感じるのは私だけではないですよね。今までの多数派ロジックは、。「利他心」=「自己犠牲」ではなかったかと・・・。どちらかというと、今まで「自由」と結びついていたのは「利己心」ですよね。

「自由」と結びついた「利他心」は、今までの胡散臭さがかなり払拭された別物ではないかと思います。


たぶん、「利他心」はかなりの部分「福祉」のことであると思うんですが、一人ひとりの自由を拡大するための福祉社会だとしたら、どうですか?目指す価値があると思いません?


で一方、「利他心」=「自由」に興味が無い学校は、何に興味があるかと言いますと、「就職」です。「就職率」とか「卒業生の就職先」とか。でも、こちらの方が標準ですよね。

自分で自分の首を絞めている社会を成り立たせているロジックをここに感じるわけですが、この話を書き始めると、すごく長くなりそうなので、きょうは、ここまでにします。






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