楽しいことを思いつく時を待ちながら、自由なテーマでこのブログを続けていたのですが、大震災直後、諦めたくない素人たち数万人が日々アクセスする原発関連情報の発信・交換の場となり、すぐに行うべき緊急のものから遠い将来を見据えたものまで多くの企画提案?を全力稼動でしてきました(ご興味のある方は、#211(3月13日)の「ごあいさつ」から、コメント欄も含めご覧ください)。しかし、6月10日あたりで、更新を停止しました。とりあえず東日本壊滅を防ぐ大きな力にはなったと思います(関わっていた人たち以外は、信じないでしょうけど・・・)。
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#187 まだ言葉になっていない社会システム観を感じる場としての日本代表サッカー、あるいは言葉になんかならない?
JUGEMテーマ:日本代表
 

わけのわからないタイトルですみません。

おそらく私の世代の元サッカー少年達は、アジア大会の決勝を観ていてこんな感想を持ったのではないでしょうか。

「別次元の早さと正確さだよな。プレーのつながり方が・・・」

感慨深いですね。人間は変化するもんですね。近所の公園で遊んでいる子どもにもすごいのが結構いますしね。

私たちが少年の頃のサッカーは、おそらく、将棋的な感じでサッカーを捉えているところがあったのに対し、今のは、積み上げていくロジックとか時系列の判断というのとは全く違いますよね。

今のサッカーに、チームワークとポジショニングが最優先である理由は、Googleなんかの並列処理システムのアナロジーで考えるとわかりやすいでしょうか。完全に、連動性能の競争ですよね。


調子が良いときには実は何も考えていなかったというような発見から生まれる「通常の『考える』という作業とは質が全く違うよな、プレー中の動きを司るものは」という漠然とした感想で捉えられていたものが、やがて「ゾーン」と呼ばれたりして、だんだん明確になってきたわけですが、これをうまく説明する言葉は、まだ、ないですよね。あるのかな?

実際は、コンピュータの並列処理システムとも、かなり違いますよね。

サッカーの方の情報処理は、階層化を非常にうまく使っていますよね。ルーティーンの動きを「無意識」に押しやっていないと、あんなに早い判断はできないです。

「集団全体が体で覚えている」みたいなことだと思うのですが、その「集団全体の体」の記憶機能、判断機能、運動機能の量と質をうまく活用できる選手がプロとか代表選手になっているんだと思います。



まあ、観衆として勝手なサッカー観を書いているわけですが、「(自)意識」過剰(過信)の社会システム観への代替案がサッカーで示されているような気がしてなりません。


ここで、(自)意識過剰(過信)を笑えるようになる設問をひとつ紹介します。

「自分の生命を成り立たせている体全体のシステムの動きについて、どの程度意識できているか?」

自分の体のことであっても、まあ当然ほとんど意識なんかできないわけです。ましてや社会全体のことなど、さらに。そこを現実の出発点として、世界と向き合うということをしてみようかな、とアジア大会の決勝を観ながら思ったのでした。

もしかしたら、「考える」というより「考えない」方法の話なんでしょうか。


これは、読んだほうがいいと教えてもらった本(『わからないという方法』)とも関係があるのかな、ないのかな?




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