楽しいことを思いつく時を待ちながら、自由なテーマでこのブログを続けていたのですが、大震災直後、諦めたくない素人たち数万人が日々アクセスする原発関連情報の発信・交換の場となり、すぐに行うべき緊急のものから遠い将来を見据えたものまで多くの企画提案?を全力稼動でしてきました(ご興味のある方は、#211(3月13日)の「ごあいさつ」から、コメント欄も含めご覧ください)。しかし、6月10日あたりで、更新を停止しました。とりあえず東日本壊滅を防ぐ大きな力にはなったと思います(関わっていた人たち以外は、信じないでしょうけど・・・)。
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#208 どう考えても、不景気ではなく、世界の変化
 JUGEMテーマ:人生論


ちょっと気分を変えて、すごく大雑把な数字の話に。

ふと、日本の経済成長率の推移のグラフを見たくなって、ここに入りました。



「失われた20年」と言うような感傷的な「あるべきものを喪失している」話や、景気循環の話ではなく、環境とか仕組みとかシステムとかが大きく変化したということですよね。

これ、「復活」とか「取り戻せ」みたいな発想では、余計に苦しくなるだけですね。


数字のネットワーク上での取分がじわじわと減っていくことが予想される場所で、どう満足感とか充実感、あるいは単純に満腹感を得ていくか。

普通に考えると、それは、「数字のネットワーク外で、どう満足感とか充実感、あるいは単純に満腹感を得ていくか」みたいな課題になります。


このブログこのブログの試行錯誤に注目しているのも、そんな理由からです。


で、「数字のネットワーク外」に「価値」はあると考えているというのが、最近の記事の内容です。





#207 人間の価値は、預金額とは関係がない。で、預金額は何と関係があるか。で、それは、もちろん人間の価値と関係がないはずなんだけど・・・。
JUGEMテーマ:人生論
 

タイトルのようなことを、しつこく考えています。

「預金額」と「価値」をくっつけると、なぜだか多くの人が気持ちがいいと思う売れる説になるようですが・・・。

「預金額」は「数字のネットワーク上のポジショニング」と関連があるだけだと思いますが、大勢は、「数字のネットワーク上でのポジショニング」=「(あなたの)価値」という設定に沿って動いています。

これがアホな設定だということ自体が、わかりにくいことになってしまっています。

さて、そのアホさをどうわかりやすく説明できるかを、これから、しばらく考えてみます。(ひとつの方法は、「価値」と関係なく「預金額」を増やすこと?)




↑この本とか、そういうことが書いてあるのかなと思ったんですが(タイトルは Priceless: The Myth of Fair Value (And How to Take Advantage of It) )、

↓邦訳されると、タイトルが何か違うことになってます。




とりあえず読んでみます。





#206 ホリエモンでもいいよ。やってくれるなら。
 JUGEMテーマ:資産運用


山崎種二をモデルにした城山三郎の『百選百勝』を読んでいたら、こんな文章がありました。


 豆二が売り一方になったのには、それだけの理由があった。
 買い占めや買い漁りをやれば、結果は、米価をつり上げ、庶民の生活を苦しめることになる。それよりも、相場の世界では仮にうらまれても、売り浴びせによって値を下げることになれば、庶民によろこばれることになるのではないか。
 それは社会主義をうんぬんするというより、貧しい家に生まれ、「米の飯を腹いっぱい食いたい」と思い続けてきた豆二が、痛烈に肌で感じる理屈であった。


豆二というのが種二で、まあ、小説なので、実際の種二とどの程度関連のある言葉かわかりませんが、これを読んで思い出すのが、穀物価格と飢餓人口との強い相関関係です。

穀物相場で売り浴びせることに意気を感じるような大金持ちはいないんでしょうか。

金という、価値とは全く関連のない単なる数字を、こんなことのために、使いこなせるというような。




ますます文章とは関係ないですけど・・・
#205 なりたい職業「自営業」。という小学時代の将来の夢は叶えてしばらく経ったものの・・・
JUGEMテーマ:人生論



たぶん、ギャンブル中毒に近いのではないかと思うのですが、ほどほど大きなリスクを抱えていないと、気分が萎えてくるんですね。

かといって、どうしようもないリスクを迎えにいってもしょうがないというか、そんなことで気分が高まるわけでもないので、リスクの種類を選ばないといけないわけですが、さて。

自営業とかフリーランスの一般的理想形は、「好きなことを仕事にしよう」みたいなこととセットになっていて、これはもっとわかりやすく書くと「好きなことやってなんとか生活しよう」という意味ですが、どうも「好きなことで食わなくてはいけない」と考え始めると、どんどんつまらない感じがしてきます。食えるというのは大抵の場合、「受注できる」ということで、実質はあまりフリーでも自営でもないような。

それが今なのかな?と思うわけですが、この(かろうじて)「受注できる」状態が、自分の場合、長く続くとも思えないんですね。仕事するエネルギーはあっても、競合企業と営業的な戦いをする資源や気力はあまりないし。


受注でないものを継続的に何かをつくって売る立場になるという方向に行けば?みたいなことを思われるかも知れませんが、それで「生活できる」ことは、ほとんどありません。そんなことができればいいなという希望はありますが、今時点で全力投球してみる価値が認められるほどの可能性はありませんよね。


こうやって考えていると、「アーリー・リタイアメント」という言葉が浮びます。放っておいても、なんとなくの収入が入る状態。収入獲得のための作業から解放されて、もっと信条とか心情に沿った自主的な活動ができる状態。

こっちの方が現実的だという根拠があるのか、というのと、あと、フリーランスでアーリー・リタイアメント狙いって、なんか変な感じもしますが、惹かれる感じがないでもありません。

もう少し、ちゃんと考えたいと思いますが、これ、前のブログの話からの流れです。どうしても、「価値」と「価格(金額)」は結びついていないと考える方が、自然に思えるんですね。

「金」の話は「金」の話だけの、簡単な算数の問題だろうという・・・。


#193 「無償労働価値説」、そして「無償労働集約型産業社会」。つまり資本主義社会以前という現実。
JUGEMテーマ:人生論
 

以前に『フリー』の勘違いなどについて書いたりしましたが、その辺の延長として、資本主義以前にあるこの社会の富の分配が何によって行われているかについて、タイトルの言葉が浮びました。


無償労働が価値を生み、無償労働を集約するしくみを持ったものが、巨大な資本を蓄える社会。

無償労働の形態としては、電子的あるいは物理的な企業所有物の構築だったり、媒体作りも含む広告宣伝活動だったりします。

たとえば、このブログを書いている行為も、上記の無償労働に完全に含まれます。

Amazonで書評を書くのも、アフィリエイトバナーを貼り込むのも、まさしくそうです。

Apple信奉者も、Windowsを使いこなしている人間も、この無償労働者です。

多くの場合、無償労働提供者は重要な顧客でもあります。

基本的には「胴元経済」(これも造語ですかね)が更に退化したかたちと言えるのではないでしょうか。

簡単に言えば、労働対価を払わない事業が中心となっている社会ということです。

それに喜んで加わっていれば、必然的に労働価値はどんどん下がってきます。


多数が貧乏になっていく仕組みも、この仕組みから簡単に説明できるような気がします。


大勢の方の労働価値を上げる戦略?を、そろそろ考えると、少しマシな可能性が見えてくるのではないでしょうか。



#192 そういえば、ソーシャル・マーケティングってあったよな、ということで
JUGEMテーマ:マーケティング
 

ソーシャル・マーケティング(社会派マーケティング・・・通常の訳は違うのかな?)のことをうっかり抜かしてました。自分の読書リストから、ずっと。

気づいたときに何かしないとすぐ忘れてしまうので、本を探しました。

ソーシャル・マーケティングといえば、60年代末以来コトラーですが(読んだことないのに偉そうに書きますけど)、昨年出た本の翻訳も出てるんですね。



読んだ感想を書いたほうが、記事としてはいいと思うのですが、書いておかないと読まないような気もしたので書いておきました。







#191 利他心と自由
JUGEMテーマ:教育
 

#190の結果を受けても懲りずに、まだいろんな学校を調べています。調べることは割と好きですし。

で、感じたことは、学問の自由に関わらず、生き方の自由というか、人の自由について敏感なのは、宗教を前面に出している学校なんですね。

「利他心」にこだわることを表明しているがために、その流れで「一人ひとりの自由」を大切にする話になっています。

「他人の自由」を主眼に置くところから、「社会の自由」になって、そこには「自分の自由」も包まれているわけです。

「利他心」→「自由」というロジックの流れは、面白いと思いませんか。

「利他心が、私の自由につながる」なんて、今まで誰かはっきり言っていましたっけ?この発想、すごく気持ちよく感じるのは私だけではないですよね。今までの多数派ロジックは、。「利他心」=「自己犠牲」ではなかったかと・・・。どちらかというと、今まで「自由」と結びついていたのは「利己心」ですよね。

「自由」と結びついた「利他心」は、今までの胡散臭さがかなり払拭された別物ではないかと思います。


たぶん、「利他心」はかなりの部分「福祉」のことであると思うんですが、一人ひとりの自由を拡大するための福祉社会だとしたら、どうですか?目指す価値があると思いません?


で一方、「利他心」=「自由」に興味が無い学校は、何に興味があるかと言いますと、「就職」です。「就職率」とか「卒業生の就職先」とか。でも、こちらの方が標準ですよね。

自分で自分の首を絞めている社会を成り立たせているロジックをここに感じるわけですが、この話を書き始めると、すごく長くなりそうなので、きょうは、ここまでにします。






#180 「金融立国」って物笑いの種なの?
JUGEMテーマ:貧困・飢餓
 

リーマンショック以降特に、「お金=悪」みたいになってますが、奇妙な寄附活動をいろいろと眺めていると、「正しいのは、寄附よりも投資じゃないの?」と思えてくるのでした。まあ、「投資」の方が考える必要がありますから、面倒くさいのはわかるんですが・・・。

グローバル社会の中で利益(他国からの需要)を稼ぎ出せる新しい産業がなかなか十分には起こってこないために家計がどんどん怪しくなっている日本ですが、他国から需要のある一番の持ち物は「お金(まだ強い円)」ということになるんではないでしょうか。私たちはあまり持ってないかも知れませんが、おじいさんおばあさんのところには、ただ「ある」だけの「お金」がたくさんあります。

たとえば、それらの金が限りなく利率0%に近い銀行口座や箪笥から出て行って、現状、年率20%近くで貸し出されている発展途上国のマイクロクレジットに、あるいはもっと大きな投資に回って行くと、世界と日本は、どんな風に変わっていくんでしょうか?

まあ、マイクロクレジットへの出資者となっても、現状はたぶん、多くて2%くらいのリターンだと思うのですが(貸し出しのための経費が嵩むため)、そういうシステムを整備して経費を圧縮するのは、日本人はとても得意だと思うのですが・・・。

そういうことすると世界は、余計悪くなる?



#179 くだらんTシャツ発売したんじゃ。
JUGEMテーマ:今日のファッション 


 
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今後、他の言葉を少しずつ・・・
#163 人間と棒 あるいは 肩こりと素振り
JUGEMテーマ:健康


厚生労働省が興味深い発表をしています。

今後の慢性の痛み対策について「慢性の痛みに関する検討会」からの提言がまとまりました

その概要は、短いですから転載しておきますね。 

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○慢性の痛み対策について(概要)
『今後の慢性の痛み対策について(提言)』より抜粋

1.慢性の痛みに関する現状
・痛みは主観的な体験の表現であるために、客観的な評価が困難であり、標準的な評価法や診断法が未確立であるうえ、診療体制も十分整っていない。
・慢性の痛みは患者の生活の質を著しく低下させ、就労困難を招く等、社会的損失が大きいとされる。
・受療頻度の高い上位5疾病に腰痛症、肩こり症が含まれ、頻度の高い自覚症状の上位には、各部位の痛みが多い(平成19年国民生活基礎調査より)。

2.慢性の痛みの医療を取り巻く課題
(1)痛みを対象とした医療体制
・治療に抵抗性をしめす慢性の痛みの診療に対して、必ずしも適切な治療が選択されているとは言い難い。
・痛みを専門とする診療体制や、そのために必要な制度、人材育成・教育体制も十分に整備されていない。
(2)痛みに関する正しい情報の提供
・慢性の痛みに関する診断、治療法等の情報が科学的根拠に基いて整理されていない。
・専門医師、一般医師、医療従事者、患者において、痛みやその診療に対する共通した認識がもたれていない。
(3)難治性の痛みへの対策
・難治性の痛みには、様々な疾患による痛みが存在するが、病態が十分に解明されていないために、診断や治療が困難である。
(4)臨床現場における問題点の解消
・諸外国において有効性が確立されているが、国内では適応がないために保険適用されていない薬剤が多いとの指摘がある。
・有効性が乏しいとされる従来通りの鎮痛薬投与などによる治療が、今でも実施されているとの報告がある。

3.今後、必要とされる対策
(1)医療体制の構築
・ガイドラインの作成等による、一般医や専門医の痛みに対する診療レベルの向上。
・関係する診療各科、各職種が連携して治療に当たるチーム医療の形成。
・医療従事者の役割分担や連携方法の明確化と育成。
(2)教育、普及・啓発
・医療者の育成(医師、看護師、介護士等)。
・患者の慢性の痛みの受容。
・患者の周りにいる一般の国民への啓発。
(3)情報提供、相談体制
・痛みに関する情報を科学的根拠に基いて整理し、最新の正確な情報を発信。
・社会全体で痛みに向き合うような働きかけ。
(4)調査・研究
・慢性の痛みの頻度、その種類、現行の対応、治療の有効性等の現状把握。
・痛みの評価法やチーム医療を行ううえで有用となる手法の開発。
・難治性の痛みの病態解明・診断方法の開発。
・新規治療薬や治療法の開発。
・治療ガイドライン等の策定、教育資材の開発。

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要するに、「肩こり」なども含む慢性的な痛みについては、何もわかっていないし、きちんと研究されてもいないし、何もわかってないのにいい加減な治療が行われているし、なにもかもダメだということが発表されたわけです。

この辺の追求は、「痛み」についての理解ももちろんそうですが、明らかに医療全体の修正を要求しますよね。あと、「エクササイズ」「スポーツ」とかだけでなく、「人」や「社会」についての理解の修正も。


で、そういう難しい壮大な話のきっかけを振っておいてから、くだらない?話に入っていきます。

私も「肩こり」「首のこり」「偏頭痛」に20年以上悩まされてきましたが、最近、半年間くらい、調子がいいです。何をはじめたかと言うと「素振り」です。




で、ここで壮大な?話に戻すわけですが、「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンを思い出してください。

もしかしたら、人間は二足歩行になった時点で、棒を振る必要が出てきたのではないでしょうか。体の構造、機能あるいは精神のバランスの問題として。木の枝の代替?「体を振る」から「棒を振る」へ。

棒はやがて刀や鍬にもなっていくわけですが、クリケット、野球、ゴルフ、ホッケーなども、この流れでしょうか。太鼓もこの流れかも知れません。指揮も?


人間=「棒を振らなければならない動物」。


どう?